自然保護の歴史
自然保護運動
最初の自然保護運動は、尾瀬原ダム計画の反対運動がきっかけであった。
平野長蔵氏が発電所の建設に反対するために、尾瀬への定住を始め、一人でこれに反対したといわれている。
その結果、発電用施設としては尾瀬沼南岸に取水口が1つ建設されたのみであった。
東京電力は1966年まで、この地に発電所を立てるプランがあったといわれている。
その後、東京電力が最終的に発電所建設を断念したのは1996年。
尾瀬が有名な観光地になると、自動車で乗り入れができる観光ルートの建設が開始された。
1960年代当時、自動車で入山できる場所は富士見峠だけであったが、その後道路が整備され、
鳩待峠、沼山峠からも峠の頂上付近まで自動車で乗り入れることが可能になった。
その後に三平峠と沼山峠を結ぶ自動車道の建設も始った。
しかし、この建設開始直後の1971年7月25日、平野長蔵の子孫の平野長靖が当時の大石武一環境庁長官に建設中止を直訴。5日後、大石長官が平野氏とともに現地を視察。この直後に建設は中止された。
竣工した道路の一部は1998年までに廃道になった。
ごみ持ち帰り運動も、尾瀬が最初であるとされている。
1972年からゴミ箱の撤去作業が開始され、翌年までに撤去作業はすべて完了した。
公衆トイレの糞尿などは、現地で中間処理されたあと、ヘリコプターで回収されたり、パイプラインを通って尾瀬外の河川に流されたりしている。
石鹸など洗剤も使用禁止であり、山小屋の風呂も汗を流すだけで石鹸は使わない。
道の整備
尾瀬は木道が整備され、木道以外の場所を歩くのは禁止である。
最初、木道の目的は、歩行者がぬかるみにはまらないようにするためのものであったが、やがて1960年代当時、近くまで自動車で行きくことができた湿原、アヤメ平が登山者により踏み荒らされたことがきっかけになり、尾瀬の全領域で木道を整備し、木道以外の場所は歩けないようにした。
1999年からは自然保護を理由に、乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが一部禁止された。
1996年には尾瀬保護財団が設立された。
「尾瀬」ラムサール条約湿地に登録
2005年11月、尾瀬がラムサール条約湿地に登録された。
「ラムサール条約」の正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といい、
1971年にイランのラムサールという地方都市において締結されたことから、「ラムサール条約」と呼ばれている。
ラムサール条約は国境を越えて渡りをする水鳥たちを保護するために、渡りルート上の国々の協力を求め誕生した国際条約である。
現在、日本国内には尾瀬を含めて登録湿地が33箇所ある。
- 参考 - Wikipediaより